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2020年最後の投稿

メリークリスマス!どうも管理人です。 今年最後の投稿は2020年のアメリカと日本を振り返ってみようかなと思います。 今年は忙しくて投稿頻度は低めでしたが、来年もこのブログは運営していく予定です。 では、早速月ごとに何があったのか振り返っていきましょう! 1月 米)コービー・ブライアント死去 NBAファンの私からすると本当にショックでした…。レイカーズは見事優勝し、チャンピオントロフィーをコービーに捧げましたね。マンバメンタリティは永遠に受け継がれるでしょう。 日)カルロス・ゴーン逃亡 ルパンの様な逃亡劇でしたね。アメリカの警備会社の協力もあったそうですが、ここまでくるともはや天晴です(笑) それよりも西川をどうにかしろ! 2月 米)アカデミー賞でパラサイトがアジア初の受賞 私も観ましたが、素晴らしい作品でした。本来ならジョーカーが受賞していたと思いますが、ご時世的に内容が過激すぎましたね…。しかし、韓国の格差社会を描いた作品なので、韓国人的にも手放しには喜べないのかも。 日)北海道でコロナの感染拡大 日本のコロナはここから始まりましたね。このあとクルーズ船のやつとかいろいろありましたね。パンデミックの始まりでした。 3月 米)NYでロックダウン開始 私は3月の頭にNYに旅行しましたが、その時はまだ誰もマスクをしていない状態で、博物館なども開いていましたし、スポーツも観客ありで運営されていました。しかし、帰国直後にすべてクローズドし、ゴーストタウン化しました…。 日)東京オリンピック延期 AKIRAの予言が的中したと話題になりましたね。2021年にはネオ東京市誕生しているのでしょうか。地方移住などの傾向を見るとあながちありえない話でもない気がしますが。 4月 米)MLB開幕延期 私にとって最悪の知らせでした。生きがいを失う様なものです。来年はしっかり4月からシーズン開幕出来るようになってほしいです。 日米)持続化給付金 当初は「お肉券」とかほざいてましたが、最終的には1人10万円もらえましたね。当然の処置だと思います。アメリカは先日追加で600ドルを追加給付すると言ってましたが、トランプは2000ドルにしろと反発。バイデン政権に貯金は残っているのでしょうか。 5月 米)ジョージ・フロイドさん死去 BLM運動が本格化した発端です。黒人の方々のいままでのフラストレーション

グラミーは腐敗したのか

  「グラミー賞は腐敗したままだ。僕、ファン、業界に透明性をはっきりとさせる義務がある」 こうツイートしたのは第63回グラミー賞で何一つノミネートされなかったカナダ出身の歌手the weekndだ。彼は今年blinding lightsで一斉を風靡し、来年2月に行われるスーパーボウルハーフタイムショーへの出演も決まっている。誰しもが彼のグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞すると予想していた。しかし、結果はその期待を大きく裏切るものだった。 なんと、そもそも何一つノミネートされていなかったのである。その代りビヨンセは9つもノミネートされている(特に今年は目立った活躍は無かったのに)  はっきり言って今年の顔はウィークエンドしかいない。こんなのはサルでも理解できる。グラミーの選考委員会の目は節穴なのか?彼をCMに起用したメルセデスベンツも驚きを隠せない事だろう。 関係者によるとザ・ウィークエンドはグラミー賞授賞式でのパフォーマンスをオファーされていた。グラミー賞側は当初、彼がハーフタイムショーと授賞式のどちらかを選ぶように要求。しかしザ・ウィークエンド側はそれを拒否した。話し合いの結果、グラミー賞は両方に出演してもよいと譲歩したが交渉は再び決裂。ザ・ウィークエンドはハーフタイムショーを選んだという。関係者はこの決断がノミネーションに影響したとエンタメサイト「TMZ」に語っている。 しかし、そもそもグラミーでパフォーマンスをしないと賞がもらえないというのはおかしな話である。さらに会長はこの報道にも言及。「残念なことに毎年候補者の数はノミネーションに値するアーティストの数を下回っている。しかし会員による投票で決められる賞として、私たちはこれからもグローバルなコミュニティを作り上げる多くの素晴らしいアーティストに光を当てつつ、優れた音楽を認め祝福していく」「誤解がないように言っておくと、候補を決めるための投票は、ザ・ウィークエンドがスーパーボウルでパフォーマンスすると発表される前に終了していた。だからそれが選考過程に影響することはありえない。すべての候補者はその優秀さによって投票によって選ばれる」。ザ・ウィークエンドの言う腐敗も、報道されているような授賞式でパフォーマンスしないことに対するリベンジもないことを強調している。

企業と刑務所のおいしいカンケイ

  こんにちは。管理人です。みなさんはテレビ通販などでコールセンターに電話した経験はありますか。だいたい女性のオペレーターが対応してくれると思うのですが、アメリカではそのオペレーターが囚人である可能性もあるのです。 エリン・フォード、28歳。まだアリゾナ州グッドイヤーにある女性刑務所ペリービル(Perryville)で服役していた頃は、囚人服に身を包んだ女性のグループが毎朝、刑務所の門から出ていく様子を見ていた。 彼女たちはTeleverdeでの仕事に出かけていた。Televerdeはセールス&マーケティング企業、アリゾナ州とインディアナ州の矯正局(Department of Corrections)と提携し、女性受刑者にコールセンターの仕事を提供している —— 出所後もその仕事を続ける者もいる。顧客はSAP、アドビ、マイクロソフト、デルなどのテック大手。 「どうしたらあのグループの一員になれるのかを知りたかった」とフォードはBusiness Insiderに語った。 「服役中の人間には夢のようなポジション。刑務所から毎日、外に出られるチャンスだった」 創業以来約25年、Televerdeはこれまでに3000人の女性受刑者を雇用してきた。出所後、正社員として雇ってもらえる可能性もある。実際のところ、現在、フェニックスにあるTeleverdeの本社従業員の約半数がペリービルの元受刑者。 Televerdeによると、受刑者を雇用する際は「don't ask, don't tell(聞かない、言わない)」という習慣に従い、罪状についていかなる情報も求めない。 同社には現在8つのコールセンターがあり、うち5箇所のスタッフは皆、アリゾナ州とインディアナ州の刑務所の女性受刑者。訪問者には、他のコールセンターと同じように見えるだろう —— 皆がオレンジ色の囚人服を着ていることを除いて。 我々は4人の女性と話をした —— 3人はペリービルの元受刑者、1人は現在服役中 —— Televerdeでの仕事は彼女たちにとって、どのようなものなのだろうか。 Televerdeでの1日 Televerdeによると、彼女たちは時給制、連邦政府の最低賃金からスタートする。残業もあり、その場合、時給は1.5倍になる。賃金の3分の1は自由に使うことができる。もう3分の1は矯正局と州への

アメリカの桁外れの離婚慰謝料

  先日、水泳の瀬戸大也選手の不倫が報じられました。幸い、奥様の寛大さに救われ何とか波は収まりましたが、アメリカでは特にハリウッドスターなどが離婚する時に巨額の慰謝料を命じられ、世間を賑わすことがあります。今回は歴代の高額離婚慰謝料ランキングを見ていきたいと思います! 第10位 ミック・ジャガー&ジェリー・ホール ローリングストーンズのボーカリストとして、現在でも1回のツアーで500億円を稼ぎ出すといわれるミック・ジャガーは、1977年、32歳の時に当時まだ駆け出しのモデルだったジェリー・ホールと結婚しました。しかし入籍はせず長年内縁の妻の状態が続いていましたが、1990年ようやくバリ島のヒンズー教会にて挙式。その後、4人もの子どもに恵まれたふたりでしたが、1998年、ブラジル人の愛人女性から長男の認知を求める裁判を起こされ浮気が発覚。そして1999年離婚。この時、ミックが支払った慰謝料は18億8千万円でした。しかし、当時ミックの総資産は実に400億円。それに比べれば少ないように思えますが、そこにはこんな経緯がありました。 バリ島のヒンドゥー教寺院での結婚式の際、インドネシア政府がヒンドゥー教徒ではないふたりに対し、「結婚を認めない」と表明するトラブルがあったのです。離婚裁判の中で、ミック側の弁護人がこの事実を持ち出したことで、裁判所は、「ふたりは正式な夫婦とは言えない・・・」と判断し、慰謝料が大幅に減額されることとなったのです。 第9位 ライオネル・リッチー&ダイアン・アレクサンダー 「ラブソングの神様」と評されるライオネル・リッチーは、1996年、かつて自身のバックダンサーをつとめていたダイアンと結婚しました。が、約7年間共に生活をするも性格の不一致を理由に破局。裁判所に提出された書類には「和解しがたい不和」とあり、実際ふたりの間で何があったのかは明らかになっていません。 この時、ライオネル・リッチーが話し合いの上支払った慰謝料は25億円。この額は、ダイアンが要求した月々に必要な経費をもとに算出されました。ダイアンが要求したひと月に必要な経費、その内訳は以下の通り。 自身の生活費…600万円 服・靴・アクセサリー代…190万円 エステ代…190万円 宝石代…60万円 プレゼント…60万円 皮膚科…36万円 レーザー脱毛代…12万円 サプリメント代…6万円 -

R.I.P-RBG

  2020年9月18日(現地時間)、米最高裁判所判事であるルース・ベイダー・ギンズバーグ氏が、膵臓がんによる合併症のためのため87歳で逝去しました。女性だけではなくすべての人のため、そして社会のために生涯を捧げたギンズバーグ判事は、「RBG」というニックネームで親しまれ、多くの人々から絶大な信頼を寄せられていました。 そんなギンズバーグ判事はアメリカで歴代2人目の女性判事で、25年以上も米最高裁で判事を務めました。「女性の味方」として描かれることが多いものの、実は女性だけではなく、男性を含む、すべての人にとっての平等な権利のために闘ってきたよう。 本記事では、故ギンズバーグ判事が、どのようにアメリカ社会における「平等」のために身を捧げてきたかをお届けします。 女性だけではなく男性のためにも 女性だけではなく、「すべての人にとっての平等」を徹底したギンズバーグ判事。彼女が1975年に関与した「Weinberger v. Wiesenfeld」というケースでは、連邦社会保障法の遺族給付を、妻だけではなく夫にも給付されるように法整備を促したのだそう。 簡単に説明すると、それまで夫が死亡し未亡人になった妻たちは、遺族給付を受けることができましたが、妻が死亡した場合に未亡人となった夫には、支給が許されていなかったのです。これは、女性・妻は男性・夫よりも常に収入が少なく、扶養を受けるべきということが前提となっていました。 当時女性の社会進出が進む中、女性たちを時代遅れな考え方から救い出すためだけではなく、男性だけが家族の収入の責任を負うべきであるという考え方から解放することにも、焦点を当てていたのだそう。 すべての人の味方 ギンズバーグ判事が考えるフェミニズムは、女性が権利を得るために男性の権利をはく奪するような「ジェンダー間の闘いや分断」に陥ることは正しくないということ強調していました。ギンズバーグ判事の裁判における主軸は、すべての人、ジェンダーにとっての平等のために闘うことだったそう。 ギンズバーグ判事は、「ジェンダーに基づく差別は、すべての人にとって傷になりうることなのです」としながら、他のマイノリティたちが苦しむ抑圧にも闘う姿勢を崩しませんでした。 LGBTQ+当事者たちや障がい者たちが受ける差別の廃止、そしてより多くの人への選挙権付与、「書類なき移民」の権利、そして

アメリカが分かる一冊をご紹介!

こんにちは。最近投稿サボり気味の管理人です。9月最初の投稿は本のご紹介をしたいと思います。今回ご紹介するのは  地図で頭にスッと入るアメリカ50州 です。 一言にアメリカといっても、どの州で働く、どの州で学ぶ、どの州に住むかによって環境は大分変ります。そんな多様な分権国家アメリカをイラストでわかるりやすく解説した一冊です。アメリカ50州の魅力と現実。住む州で違う○と×。消費税、同性婚、銃規制、死刑制度…世紀の実験国家アメリカ合衆国のすべてを理解できます!! 今回は取り急ぎ本の紹介だけなのですが、次回からはアメリカに関する書籍紹介でもしようと思います。それでは次回をお楽しみに!

幻の英雄ボビーフィッシャー

  こんにちは。管理人です。最近なかなかネタが無くて困っているのですが、日本では将棋の藤井壮太さんがタイトルを獲得し話題になっていますね。そこで今回はアメリカで幻の英雄の異名を持つ天才チェスプレイヤーボビー・フィッシャーについて解説したいと思います。 生い立ち ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer、1943年3月9日 - 2008年1月17日)は、アメリカ合衆国のチェスプレーヤー。チェスの世界チャンピオン(1972年 - 1975年)。本名ロバート・ジェームズ・フィッシャー(Robert James Fischer)。 1943年3月9日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにおいて誕生。その後ニューヨークのブルックリンに移住。母親のレジーナ・ウェンダー・フィッシャーは当初ハーマン・J・マラーに秘書として雇われたが、マラーに才能を見い出されて、医学を学ぶように薦められた。父親のハンス・ゲルハルト・フィッシャーは、ハーマン・J・マラーと共にモスクワの大学へ招聘された生物物理学者である。2人はモスクワで結婚し、娘のジョーンが生まれた。しかし、ソ連で反ユダヤ主義が広がり出すと、ユダヤ人の2人はパリへ移住した。後にレジーナは離婚し、国籍を持っていたアメリカへ子供を連れて移住するが生活は苦しく、ジョーンを父親に預けていた。また、シカゴの病院でロバートを出産した時には、ホームレス同然だった。出生証明書にある父親の記入欄にはハンスの名が記載されているが、彼は生涯アメリカに入国したことはなかった。1949年(6歳)、ボビーの姉は、落ち着きのない弟を静かにさせるため、1ドルのチェス・セットを与えて、チェス・ゲームの簡単なルールを教えた。そこでボビーは、すぐにチェス・ゲームの虜となった。1957年(14歳)、インターナショナル・マスターとなる。 翌年(1958年、15歳)、グランドマスターとなる。15歳でのグランドマスターは、世界最年少記録だった。だが、1962年(19歳)、国際舞台から引退した(但しアメリカ国内の大会には出場した)。 プレー・スタイルにはボビー・フィッシャーならではのものがある。例えば、1956年の対ドナルド・バーン戦において、クイーンをわざと捨てることで、勝利した。また、1963年の対ロバート・バーン戦においても、ナイトを捨てて勝利した。しばしば、「天才」と称

アメリカの危険生物たち

8月9日午前0時ごろ、松本市安曇の北アルプス上高地にある小梨平キャンプ場で、テント泊をしていた東京都の50代女性が、食料をあさりに来たとみられるツキノワグマ1頭に襲われ、右脚を10針ほど縫うけがを負った。命に別条はない。周辺では7月下旬から熊が目撃されており、環境省中部山岳国立公園管理事務所がわなを設置するなどして警戒を強めていた。同キャンプ場は襲った熊が捕獲されるまで閉鎖となった。 このような動物による被害は当然アメリカでも度々起こります。では、アメリカではどのような生物による被害があるのでしょうか。 ピューマ カリフォルニアのグリフィス天文台付近での目撃例もあります。 ワニ フロリダを代表する生物ですね。フロリダ大学のスポーツチームはゲーターズという名前が付いており、フロリダのアイコンになっています。ちなみにゲータレードという飲み物はこのゲーターズとエイドの造語です。 サメ サメは東海岸にも西海岸にもいます。ただフロリダでの事故などが多い印象です。ジョーズさながらのホオジロザメもいます。上述のワニに引き続き、フロリダのクリアウォーターにあるスラッシャーズという野球チームはサメがモチーフになっています。 ガラガラヘビ 猛毒で知られるガラガラヘビ。噛まれたら手足を切断しなければならないことも。とんねるずの楽曲でもガラガラヘビを題材にしたものがありましたが、あんなにかわいくありません(笑) ちなみに英語だとdiamond backと言います。MLBにもアリゾナ・ダイヤモンドダイニングというチームがあります。つまりアリゾナに生息しているということですね。 グリズリー コロラドなどに生息しています。メンフィス・グリズリーズ、シカゴ・ベアーズなど熊に関する名前のプロスポーツチームは多いです。 バイソン モンタナ、ノースダコタなどに生息しています。アメリカでは食肉として扱われることもあります ヒアリ ※キモいので画像はなし 日本でも最近増えているヒアリ。アメリカでは刺されて重傷化したケースも多くあります。 いかがでしたでしょうか。今回は短くこのくらいで終わりたいと思います。ではでは

プロスポーツ改名騒動

現在、アメリカでは先住民に由来するチーム名を持つスポーツチームの改名運動が巻き起こっています。先日NFLのワシントン・レッドスキンズはかねてから人種差別的だと言われていた「レッドスキン」という名前を変える決定をしました。 同チームは首都ワシントンが本拠地。レッドスキンズと名づけられたのは、ボストンを本拠地としていた1933年だった。  この名称については、アメリカ先住民を侮辱するものと以前から指摘されてきた。  ただ、オーナーで子どものころからのファンのダン・スナイダー氏は、87年の歴史がある同チームの名称は絶対に変えないと宣言していた。  しかし、主要スポンサーの運送大手フェデックスやナイキ、ペプシ、バンク・オブ・アメリカが、スナイダー氏にチーム名変更の検討を要求した。  先週には、アマゾン、ウォルマート、ターゲット、ナイキなどの小売店が、同チームの関連商品を各社サイトから撤去した。米スポーツ専門放送局ESPNも、アメリカ先住民を描いた同チームのロゴの使用をやめると表明した。 チーム名は直ちに変更されるのではなく、2020年シーズンが始まる9月までに新たな名称が選出される。公式のウェブサイトやツイッターは今も、従来のチーム名を使い続けている。  新たなチーム名の候補には、「ワシントン・セネターズ」、「ワシントン・ウォリアーズ」、「ワシントン・レッドテイルズ」などが挙がっている。  首都ワシントンのスポーツチームが、文化的な価値観の変化を受けて名称を変更したのは、これが初めてではない。  1995年には米プロバスケットボールNBAのワシントン・ブレッツが、弾丸を意味するチーム名に対するオーナーの違和感をきっかけに、ワシントン・ウィザーズに変えた。 あのMLB球団も また、MLBクリーブランド・インディアンズも改名運動の標的になった。そもそもインディアンズの名前の由来は全身のクリーブランド・スパイダーズに所属していたMLB初のインディアン出身の選手である、ルイス・ソカレキス選手から取ったものである。 先述したレッドスキンズをはじめアメリカにはチーフス、ブレーブス、セミノールズなど先住民に由来するチーム名が多いが、これらは全て彼らに 敬意 をこめてつけられた名前であり彼らを差別や卑下しているわけではない(先住民の肌を赤で表現したり、赤肌と呼ぶことには問題があると思うが)

㊗ブログ開設1周年!

当ブログAmerican★Insightは7月14日時点で解説1周年を迎えました。これからもアメリカに関する記事を投稿し、日本の時事問題などをアメリカ的視点で見ていきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。 by管理人

アメリカに根付くセカンドチャンス文化(2/2)

こんにちは。管理人です。今回は前回のつづきでアメリカのセカンドチャンス文化の考察をしていきたいと思います。 4.キリスト教の施し  前項では「セカンドチャンス」を与えるための制度的な枠組みを論じた。一方でアメリカ社会においては、「セカンドチャンス」を与えることについて、人々の間に共通する考えはあるだろうか。  アメリカは多人種多民族国家であり、さまざまな価値観が存在する。しかしながら、アメリカには、人々に共有される価値観があるとも考えられる。それは、宗教であり、キリスト教である。アメリカ人の7割、もしくは8割は、キリスト教徒であると言われている。キリスト教とは、どんな宗教なのか。多くの宗教においては赦しが伝統的に美徳とされている。なかでも、キリスト教では、赦しが高く評価されている。なぜなら、キリスト教の神は悪を受け入れ、罪深い人間を赦す唯一の神だからである。 1957年8月19日、アーミッシュ居住区で2人組の若い非アーミッシュ男性が金銭目当ての強盗をし、農夫が殺される事件が起きた。この事件でもアーミッシュは犯人への憎しみを全く示さず、殺された農夫の家族は、犯人に復讐したい気持ちを持たなかった。殺された農夫の父親は、息子のことを思うのは辛いといっていたが、殺人犯に「神があなたをお赦しになりますように」と伝えたという。殺人犯は、裁判で死刑判決を受けた。しかし、アーミッシュから殺人犯の寛大な措置を求める手紙が殺到した。アーミッシュは、犯罪には報いが伴うべきだと考えているが、助命嘆願をしなければアーミッシュとして非難を免れないともしている。37 ここから、アーミッシュは犯罪者に対して、一生憎むのではなく、寛容な気持ちが必要だと考えていることがわかる。聖書のある一節には、もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない、という言葉がある。アーミッシュによると、アーミッシュの赦しはキリスト教の赦しそのものである。  アーミッシュはアメリカ国内における少数派のクリスチャンであるが、一方でこれらの事件によって、多くのクリスチャンのアメリカ人たちが自らの信仰を省みることとなった。アーミッシュの小さな町ランカスター(ペンシルヴァニア州)で起こった事件は、多くの共感を呼び、赦しがア

アメリカに根付くセカンドチャンス文化(1/2)

こんにちは。管理人です。今回はアメリカのセカンドチャンス文化についてのトピックです。日本や韓国では芸能人などのスキャンダルが出るとなかなか再復帰が難しかったりしますよね。それに比べるとアメリカは比較的そこに関しては優しい方だと思います。では、何故アメリカではセカンドチャンス文化が浸透しているのでしょうか。そこを探っていきます。 1.学校教育 アメリカでは日本より教育の選択肢が豊富である。これをオルタナティブ教育と呼び、モンテッソーリ教育やホームスクーリングなど個人個人に合わせて教育スタイルを選べるシステムのことです。   例えば、カリフォルニア州オレンジ郡にある不登校学習センター(TLC:Truancy Learning Center)には、全日制コースと個人学習コースがあり、生徒のさまざまな問題や要求に対応している。全日制コースでは、1人の先生がほとんどのクラスを教えるため、先生と生徒との関係が築きやすい。また、コミュニケーションが図りやすくなり、生徒同士のケンカやトラブルを早期に防止できる。個人学習コースでは、自宅で好きな時間帯に勉強することができる。また、クラスが退屈な生徒、銃犯罪や校内暴力などのいじめが怖くて学校に行けない生徒、家庭が貧しくて働かなければいけない生徒などにとっては良い環境だ。アメリカでは、このような特別学習センターが各地に設立されている。 オルタナティブ教育は、 生徒を型にはめないことで、自主的にさせる ことができ、意欲的に参加することで、生徒のセカンドチャンスに実質的につながっていることがわかる。 2.犯罪者の社会復帰 日本では1度過ちを起こすと、社会復帰することが難しい。しかし、メジャーリーガーのダルビッシュ有投手は、アメリカでは1度過ちを起こしても、もう1度チャンスを得ること ができると主張している。レンジャーズのジョシュ・ハミルトン外野手は、2001年の交通事故による怪我の治療中、期待の重圧にこたえられないことからコカイン依存症に陥った。しかし、度重なる挫折を経験しながらも、2005年頃には、アルコールや薬物との決別の意志を固め、再起した。その数ヶ月後には独立リーグから契約の打診が来るようになった。同じくレンジャーズのロン・ワシントン前監督も2010年に、コカイン使用が明らかになった後も監督を続けている。 スポーツ選手だけではなく、俳

今見るべき、黒人をテーマにした映画

こんにちは。管理人です。今週は今見るべき黒人にフォーカスした映画をピックアップしてご紹介したいと思います。 ーラインナップー 1.それでも夜は明ける 2.ビールストリートの恋人たち 3.陽だまりのグラウンド 4.黒い司法 5.フルートベール駅で 6.タイタンズを忘れない 7.STRAIGHT OUTTA COMPTON 8.ムーンライト それではいきます 1.それでも夜は明ける  主人公のソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、自由証明書を持つ自由黒人。生まれ育ったアメリカ東部では、白人同様の生活を営んでいる。しかし白人社会の一員ではない。さりとて黒人奴隷社会の一員でもない。そんなソロモンの宙ぶらりんの立ち位置を象徴的に表す名場面がある。奴隷として売られた最初の農園で、無能な大工の面子をつぶしたソロモンが縛り首のリンチにかけられる場面だ。  リンチを止めに入った監督官のおかげで、ソロモンは死を免れる。が、監督官が農園主を呼び戻すまでの間、首に縄をかけられたまま爪先立ちの姿勢で放置される。そんな彼の様子を、テラスの上から冷やかに見下ろす白人たち。一方ソロモンの背後に映し出される黒人奴隷たちは、触らぬ神に祟りなしとばかり、ソロモンから目線をそらして忙しく立ち働いている。白人からは見下され、黒人には無視される。そんな圧倒的アウェイの環境にいるソロモンの孤立感と、その中でサバイバルするために彼がどれほど知恵を絞り、どれほど壮絶な試練をくぐり抜けねばならないかを、スティーブ・マックィーン監督は、不気味なほどヒリヒリするこの場面を通じて饒舌に物語っている。  実際、自由黒人というアウトサイダーを主人公に奴隷制の暗黒面を見つめた点は、「アミスタッド」などの黒人奴隷を扱った過去作とは異なるこの映画の最大の個性だ。マックィーン監督は、白人でもなく奴隷でもないニュートラルな立場のソロモンを観客代表のように描き、人権を持たない奴隷の境遇に対するソロモンの驚きや屈辱感を我々に追体験させる。そして、サディスティックな農園主のごとき独裁者が支配する社会で、ソロモンと同じように自分の知性を隠し、ひたすら頭を低くして今日を生き抜こうとしている人々が、今もこの世界にいることを思い起こさせる。物語の舞台は19世紀アメリカだが、実は現代的かつグローバルな視野を持つ。そこにクレバーな魅力を感じさせる映画だ