スキップしてメイン コンテンツに移動

企業と刑務所のおいしいカンケイ

 


こんにちは。管理人です。みなさんはテレビ通販などでコールセンターに電話した経験はありますか。だいたい女性のオペレーターが対応してくれると思うのですが、アメリカではそのオペレーターが囚人である可能性もあるのです。

エリン・フォード、28歳。まだアリゾナ州グッドイヤーにある女性刑務所ペリービル(Perryville)で服役していた頃は、囚人服に身を包んだ女性のグループが毎朝、刑務所の門から出ていく様子を見ていた。

彼女たちはTeleverdeでの仕事に出かけていた。Televerdeはセールス&マーケティング企業、アリゾナ州とインディアナ州の矯正局(Department of Corrections)と提携し、女性受刑者にコールセンターの仕事を提供している —— 出所後もその仕事を続ける者もいる。顧客はSAP、アドビ、マイクロソフト、デルなどのテック大手。

「どうしたらあのグループの一員になれるのかを知りたかった」とフォードはBusiness Insiderに語った。

「服役中の人間には夢のようなポジション。刑務所から毎日、外に出られるチャンスだった」

創業以来約25年、Televerdeはこれまでに3000人の女性受刑者を雇用してきた。出所後、正社員として雇ってもらえる可能性もある。実際のところ、現在、フェニックスにあるTeleverdeの本社従業員の約半数がペリービルの元受刑者。

Televerdeによると、受刑者を雇用する際は「don't ask, don't tell(聞かない、言わない)」という習慣に従い、罪状についていかなる情報も求めない。

同社には現在8つのコールセンターがあり、うち5箇所のスタッフは皆、アリゾナ州とインディアナ州の刑務所の女性受刑者。訪問者には、他のコールセンターと同じように見えるだろう —— 皆がオレンジ色の囚人服を着ていることを除いて。

我々は4人の女性と話をした —— 3人はペリービルの元受刑者、1人は現在服役中 —— Televerdeでの仕事は彼女たちにとって、どのようなものなのだろうか。

Televerdeでの1日

Televerdeによると、彼女たちは時給制、連邦政府の最低賃金からスタートする。残業もあり、その場合、時給は1.5倍になる。賃金の3分の1は自由に使うことができる。もう3分の1は矯正局と州への支払い、つまり刑務所の運営費、あるいは該当する場合は罰金、賠償金、子どもの生活費にあてられる。残りの3分の1はそれぞれの貯蓄口座に。

バレリー・オチョアは現在、ペリービルで服役中。Televerdeで内勤営業として働いている。過去3年にわたって、彼女は仕事での地位を上げてきた —— 刑務所で行われたTEDxのイベントで自身の経験について話したことさえある。

仕事は朝8時から夕方5時まで。各スタッフに専用デスク、パーティション、パソコンがある。1日中、顧客と電話をし、顧客をアシストする。

「Televerdeに1歩足を踏み入れれば、もう受刑者ではない。あの帽子を脱ぐと、私はプロフェッショナル」とオチョアはBusiness Insiderに語った。

冒頭に紹介したフォードは2015年に出所し、現在Televerdeで働いている。ペリービルにいる間にGED(General Educational Development:高卒に相当する資格)を学び、出所後に正社員になることができた。過去の過ちを清算するチャンスと彼女は考えた。


「大人になって家族意識は本当に強かったが、自意識はあまり持っていなかった」とフォード。

「少し道を外れ、愚かな選択をしてしまった」

Televerdeのスタッフが皆、元受刑者、あるいは受刑者というわけではない —— 従来通りの採用も行っている。Televerdeのモラグ・ルーシー(Morag Lucey)CEOによると、同社は受刑者、元受刑者、そしてそれ以外の人物を皆、平等に扱おうとしている。

「彼女たちには、自分たちは受刑者だから普通の人たちのように優秀ではないという気持ちがある」とルーシーはBusiness Insiderに語った。

「彼女たちは、自分たちが間違いなく、会社や社会に加わることができると知るために働いている。それが彼女たちに力を与え、発言することや目的意識を持つことにつながっている」

受刑者に仕事を与える意味

ザ・センテンシング・プロジェクト(The Sentencing Project)のエグゼクティブ・ディレクター、マーク・マウアー(Marc Mauer)によると、Televerdeのような存在は元受刑者たちの人生に大切な役割を果たし得る。つまり、犯罪歴があると仕事を見つけることは難しく、仕事があったとしても、給料は自身あるいは家族を養うためには十分ではない可能性が高い。

「刑務所から家に戻っても、仕事を見つけるまでにかなりの時間がかかる。過去のすべてが障害になるから」とマウアーは語った。

「服役中から仕事を持っていることで、出所後の生活ははるかにスムーズになる」

経済的な安定以上に、Televerdeのような場所での仕事は安定と受刑者間のお互いのサポートを生み出し、さらに再犯のリスクを減少させるとマウアーは語った。

だが同時に、これですべてが完了というわけではないとNational Council for Incarcerated and Formerly Incarcerated Women and Girls(受刑者および元受刑者の女性・少女のための国民協議会)の設立者でエグゼクティブ・ディレクターのアンドレア・ジェームズ(Andrea James)は述べた。

Televerdeのような企業が受刑者や元受刑者に仕事を提供するのは良いことだが、完璧な解決策ではないとジェームズ。

重要なことは、彼女たちの働く権利を支援すること、例えば適正な賃金、収入の維持、そして、出所後、こうした条件がどこまで変わるのか。受刑者や元受刑者の仕事は非常に低賃金になりがちで、プリズン・ポリシー・イニシアチブ(Prison Policy Initiative)によると、受刑者の時給は1ドル以下であることも少なくない。そればかりか、一般的な刑務所での仕事はアラバマ州、アーカンソー州、フロリダ州、ジョージア州、テキサス州でいまだに無給となっている。

「どんな仕事でもないよりはましと言う人もいるが、公平を求め続ける必要があるという事実を否定するものではない」とジェームズは述べた。

「民間企業に囚人労働を利用する機会を提供する時には、常にこの警告を忘れてはならない」


いかがでしたか。日本では考えにくいですよね。でも私はこのようなプログラムは必要だと思います。実際、出所後も犯罪歴のせいで仕事にありつけず再犯して塀の中に逆戻りというケースはアメリカだけでなく日本でもよくあるケースです。また、このようなプログラムに参加している時点である程度模範囚だと思うので採用する企業側もそこまでリスクは無いと思います。次回はそろそろ冬のネタでも投稿しようかと考えています。ではでは。

(出典:business insider)



コメント

このブログの人気の投稿

幻の英雄ボビーフィッシャー

  こんにちは。管理人です。最近なかなかネタが無くて困っているのですが、日本では将棋の藤井壮太さんがタイトルを獲得し話題になっていますね。そこで今回はアメリカで幻の英雄の異名を持つ天才チェスプレイヤーボビー・フィッシャーについて解説したいと思います。 生い立ち ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer、1943年3月9日 - 2008年1月17日)は、アメリカ合衆国のチェスプレーヤー。チェスの世界チャンピオン(1972年 - 1975年)。本名ロバート・ジェームズ・フィッシャー(Robert James Fischer)。 1943年3月9日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにおいて誕生。その後ニューヨークのブルックリンに移住。母親のレジーナ・ウェンダー・フィッシャーは当初ハーマン・J・マラーに秘書として雇われたが、マラーに才能を見い出されて、医学を学ぶように薦められた。父親のハンス・ゲルハルト・フィッシャーは、ハーマン・J・マラーと共にモスクワの大学へ招聘された生物物理学者である。2人はモスクワで結婚し、娘のジョーンが生まれた。しかし、ソ連で反ユダヤ主義が広がり出すと、ユダヤ人の2人はパリへ移住した。後にレジーナは離婚し、国籍を持っていたアメリカへ子供を連れて移住するが生活は苦しく、ジョーンを父親に預けていた。また、シカゴの病院でロバートを出産した時には、ホームレス同然だった。出生証明書にある父親の記入欄にはハンスの名が記載されているが、彼は生涯アメリカに入国したことはなかった。1949年(6歳)、ボビーの姉は、落ち着きのない弟を静かにさせるため、1ドルのチェス・セットを与えて、チェス・ゲームの簡単なルールを教えた。そこでボビーは、すぐにチェス・ゲームの虜となった。1957年(14歳)、インターナショナル・マスターとなる。 翌年(1958年、15歳)、グランドマスターとなる。15歳でのグランドマスターは、世界最年少記録だった。だが、1962年(19歳)、国際舞台から引退した(但しアメリカ国内の大会には出場した)。 プレー・スタイルにはボビー・フィッシャーならではのものがある。例えば、1956年の対ドナルド・バーン戦において、クイーンをわざと捨てることで、勝利した。また、1963年の対ロバート・バーン戦においても、ナイトを捨てて勝利した。しばしば、「天...

ハワイの巨大ネコの謎

  こんにちは。管理人です。先月はお休みしてしまいすいませんでした(なかなかネタも無いもんで^_^;) 皆さんは猫はお好きでしょうか。私は好きです。野良猫なんかを見つけるとついつい写真を撮ってしまいます。都内で目撃する野良猫は家猫サイズですが、田舎に行くと山猫という大型犬並みの大きさの猫を見たりすることもできますよね。 なぜ猫の話をしたかというと、先日こんなニュースを見つけました。 「ハワイで目撃された謎の猫」 去年の8月のニュースですが、ハワイ島(ビッグアイランド)でピューマサイズの大型猫が目撃されたというのです。アメリカ本土では山猫は山岳部などに生息しています(ボブキャット、リンクス)またハリウッドなどにもピューマがいたりします。 目撃されたポイント しかしハワイでの目撃情報は少なく、調査もあまり行われていません。なぜこのニュースを取り上げたかというと、 実は私自身が2014年末にマウイ島に旅行した時にホテルの敷地内でこのサイズの猫を目撃していたのです! 状況としては夜に知人の部屋から自室に戻るときに林の茂みにゴールデンレトリバー並みの大きさの猫のシルエットを見たのです。すぐにハワイの山猫をググりましたが、該当するような情報はありませんでした。その後は何かの見間違えかと思い何年も過ごしていましたが、上記のニュースを見て見間違えじゃなかったんだと思いました。 現在地元では捜査が続いているようですが、現地民もあんな大きな動物がいたら怖いと思うので、早く真相が知りたいです!でもハワイの自然って以前から謎が多いことで有名なんですよね。特にハワイ島はジュラシックパークの撮影地にもなっていたはずです。何だかロマンというかワクワクしますね。 「幻の猫」みたいな異名が付いたりするのでしょうか。UMAを見た気分です。とにかくあの猫を見れてよかったです。続報が出次第ブログを更新します。それでは。 実際の映像

混沌とするニューヨークその① 追い出されるホームレス

最近ニューヨークが混沌としているように感ている管理人です。よって今週からニューヨークの特集シリーズを投稿していきます。今回はニューヨークのホームレス追い出し政策についてです。 ハワイ州のJohn Mizuno下院議員は31日、「ニューヨーク市のホームレスの市民を他州に送る政策」に違法性があるとして、ウィリアム・バー司法長官に宛てた書簡で調査を求めた。 Mizuno議員が問題視するのはニューヨーク市が2017年から開始した「Special One-Time Assistance Program(SOTA)」と呼ばれるホームレスの自立支援プログラム。プログラムでは、一定の条件を満たす家族や個人に対し、シェルターを離れ、市内およびニューヨーク州、他州で生活するために一年分の家賃を提供している。市ホームページによると、サービスを受けるには、90日間以上市のシェルターに入っていることや家計所得が家賃の2倍を超えていないことを条件としている。 ニューヨークポスト紙によると、これまで市が負担した家賃は8,900万ドル(約97億円)で、5,074家族、12,482人がプログラムによる支援を受けている。移動先は全米の373都市、ハワイを含む32州とプエルトリコにまたがる。さらに、市は旅費や家具などのコストも負担しているという。 Mizuno議員は書簡で、プログラムは「移転させられたホームレスの個人または家族が必要とする安全性と福祉、継続的な支援」を提供していないと述べ、SOTAは「ニューヨークから運び出されたホームレスに災難と非人道的な状況を生み出している」と主張。「ハワイの住人の多くが、この違法プログラムが、ハワイのすでに酷い状況を悪化させる可能性があると深刻な懸念を抱いている」と述べた。 プログラムに反対しているのはハワイだけではない。これまで278家族が移転したニュージャージー州アービントンのTony Vauss市長は、「ニューヨーク市のコミュニケーション不足とプログムに対する監督の欠如に非常に困惑している」とニューヨークポスト紙の取材に述べ、「SOTAの資金提供が終了すると、受給者は自身を維持するためにわれわれの州と地域のリソースを使用することになる」と批判。またジョージア州ウィラコーチーやユタ州ハリスビルの市長は、プログラムの存在自体に驚いた反応...