スキップしてメイン コンテンツに移動

アメリカの停電

先日の台風で千葉県に甚大な被害が出ています。実はアメリカでも7月にニューヨークで大規模な停電がありました。その時はどのような様子だったのでしょうか。



<7月13日午後7時、ニューヨーク、マンハッタンのミッドタウン中心街で停電が起きた。完全復旧までの5時間、何が起きていたのか......>

7月13日午後7時前、ニューヨークの一部地区で大規模な停電が発生した。

停電が起きたのは、マンハッタンのミッドタウン中心街という、もっとも人が集まる商業エリアだ。店舗、レストラン、ホテル、ブロードウェイの劇場街などが密集し、人々の暮らしもそこにある。

いつもは目眩がしそうなほど煌びやかなデジタルサイネージのあるタイムズスクエアも、この日は真っ暗に(冒頭の写真)。

地元メディアの報道では、ピーク時で7万2000世帯に影響が出たという。信号が消え、地下鉄が止まるなどし、多くの人で溢れかえる土曜日の夜、街は大混乱に陥った。

完全普及まで5時間を要し、午前0時ごろ街に光が戻った。CBSニュースの報道では、西64丁目にある変電所での不具合が原因とみられている。

ニューヨークは夏時間のため、午後7時といえども外はまだ昼間のように明るい。しかし日没時間(午後8時半)を過ぎると徐々に暗くなり、日没後は車のヘッドライトだけが灯る状態になった。最高気温が30度近くに上った日でもあり、エアコンも使えず暑さとの戦いでもあった。

もっとも大変だったのはエレベーターや地下鉄に閉じ込められた人、超高層階の住民、乳児のいる家庭、病気の人や老人だろう。蒸し暑く暗い密室で、または病院に行きたくても交通の大混乱でタクシーが捕まらない状態で、いつ復旧するともわからないなかどんなにか心細かっただろう。

在住者はその時間、どのように過ごしていたか?
筆者は幸か不幸か、前回(2003年)も今回もドラマチックな体験を免れた。ちょうどこの時間、私は停電発生現場から車で1時間半ほど離れた市内のビーチに出かけていた。午後9時ごろ、携帯に流れてきたニュースで停電を知ったのだった。

03年の大停電は米北東部および中西部と広範囲で発生したが、当時居住していたクィーンズ区のアパートにたまたまいたため、多くの人が体験した「何時間も徒歩で帰宅」することもなかった。

当時アメリカ人ルームメイト3人と家をシェアし、そのうちの1人が地元マンハッタン出身者。彼は1977年*の大停電も幼少時に経験しており、「家から出ない方がいい」とアドバイスしてくれた。理由は「強盗や略奪が多発したから」。街はカオス状態で、とても怖い光景を目にしたという。

70年代といえば財政危機を引き金に治安が悪化し、市内のあちこちで犯罪が多発していた時代だ。2003年も今回も、停電を悪用した犯罪が聞こえてこないのは不幸中の幸いだろう。
(* 神のいたずらか、奇しくも今回の停電も1977年と同じ7月13日に発生した)

abe0719b.jpg

住民の証言「時間差で停電に」
今回の停電被害は、マンハッタンのミッドタウン(タイムズスクエアがある42丁目)周辺の40ブロックに及ぶ西側エリアで起こった。

西42丁目に住んでいる筆者の知人に、今回の体験談を聞くことができた。

実は私の住むエリア(11番街と12番街の間)は停電になっていませんでした。午後7時20分ごろ、43丁目の10番街と、52丁目の9番街に住む友人からそれぞれ連絡があり停電を知りました。私のアパートは42丁目の南側に面しています。もしかして北側は停電していたのかもしれません。

友人を心配して、ニュースを見ながら情報を送り続けていたら、午後9時20分ごろ自分の家の電気も落ちてしまいました。

窓から見ると、34丁目のエンパイアステートビルも真っ暗になっていました。午後10時05分ごろ電気が戻ったと友人から連絡があり、エンパイア~も復旧していました。私の家ももうすぐかと楽観したものの、結局11時40分ごろまで真っ暗でした。

暑さ対策に関しては、停電までエアコンをかけていたので、停電後もしばらく問題なかったです。午後10時ごろアパートのビルがセルフジェネレーターによって廊下やエレベーターに冷房が戻ったので、ラッキーなことにあまり辛い思いはしなかったです。

「暗闇なんてカンケーない!電力がなくてもできることはある
ハプニングをも歌にして楽しむ人々
ニューヨークは、生きるパワーがみなぎる街。この日は一段とエンターテインメントが人々に活力を与えたようだ。

26のブロードウェイショーと、ジェニファー・ロペスなどのコンサートが中止になったが、人々はさまざまな方法で停電というハプニングを「サバイブ」した。

まだ明るい時間帯。カーネギーホールの外で、合唱団(Millennial Choirs and Orchestras)による即興演奏会がはじまった。

埋め込み動画

同じくカーネギーホール外での演奏。投稿者は地下鉄に1時間閉じ込められた後、この「感動の場」に辿り着いた。「このシーンこそ、ニューヨークたる瞬間」と投稿者談。

ミュージカル「Hadestown」出演者による即興演奏
ハデウスタウン出演者たち

停電のハプニングをも、陽気に歌にして乗り切る人々。ミュージカル『Hadestown』が中止となり、御歳73歳の出演俳優アンドレ・デ・シールズ(Andre De Shields)さんらが「土曜日に急に起こっちまった停電~」と、即興で歌にするのはさすが! 48丁目の「Walter Kerr」劇場前にて。

逆境に直面しても物事を成し遂げる人々の大胆さこそが、都市のパワー
「真のニューヨーカーは、タフで芯が強いの。そしてちょっとやそっとのことでは負けない」。私は、911同時多発テロを経験した友人の言葉を思い出す。

トラブルを深刻に取りすぎない。転んでもただでは起きない。時にジョークにして笑ってみたり、歌にして楽しんだりして、皆で力を合わせて逆境を乗り越える。

この大停電で、再びニューヨークという街とそこに生きる人々の底力を垣間見た。日本も今回の被害で人々の底力が試されている。



コメント

このブログの人気の投稿

幻の英雄ボビーフィッシャー

  こんにちは。管理人です。最近なかなかネタが無くて困っているのですが、日本では将棋の藤井壮太さんがタイトルを獲得し話題になっていますね。そこで今回はアメリカで幻の英雄の異名を持つ天才チェスプレイヤーボビー・フィッシャーについて解説したいと思います。 生い立ち ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer、1943年3月9日 - 2008年1月17日)は、アメリカ合衆国のチェスプレーヤー。チェスの世界チャンピオン(1972年 - 1975年)。本名ロバート・ジェームズ・フィッシャー(Robert James Fischer)。 1943年3月9日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにおいて誕生。その後ニューヨークのブルックリンに移住。母親のレジーナ・ウェンダー・フィッシャーは当初ハーマン・J・マラーに秘書として雇われたが、マラーに才能を見い出されて、医学を学ぶように薦められた。父親のハンス・ゲルハルト・フィッシャーは、ハーマン・J・マラーと共にモスクワの大学へ招聘された生物物理学者である。2人はモスクワで結婚し、娘のジョーンが生まれた。しかし、ソ連で反ユダヤ主義が広がり出すと、ユダヤ人の2人はパリへ移住した。後にレジーナは離婚し、国籍を持っていたアメリカへ子供を連れて移住するが生活は苦しく、ジョーンを父親に預けていた。また、シカゴの病院でロバートを出産した時には、ホームレス同然だった。出生証明書にある父親の記入欄にはハンスの名が記載されているが、彼は生涯アメリカに入国したことはなかった。1949年(6歳)、ボビーの姉は、落ち着きのない弟を静かにさせるため、1ドルのチェス・セットを与えて、チェス・ゲームの簡単なルールを教えた。そこでボビーは、すぐにチェス・ゲームの虜となった。1957年(14歳)、インターナショナル・マスターとなる。 翌年(1958年、15歳)、グランドマスターとなる。15歳でのグランドマスターは、世界最年少記録だった。だが、1962年(19歳)、国際舞台から引退した(但しアメリカ国内の大会には出場した)。 プレー・スタイルにはボビー・フィッシャーならではのものがある。例えば、1956年の対ドナルド・バーン戦において、クイーンをわざと捨てることで、勝利した。また、1963年の対ロバート・バーン戦においても、ナイトを捨てて勝利した。しばしば、「天...

ハワイの巨大ネコの謎

  こんにちは。管理人です。先月はお休みしてしまいすいませんでした(なかなかネタも無いもんで^_^;) 皆さんは猫はお好きでしょうか。私は好きです。野良猫なんかを見つけるとついつい写真を撮ってしまいます。都内で目撃する野良猫は家猫サイズですが、田舎に行くと山猫という大型犬並みの大きさの猫を見たりすることもできますよね。 なぜ猫の話をしたかというと、先日こんなニュースを見つけました。 「ハワイで目撃された謎の猫」 去年の8月のニュースですが、ハワイ島(ビッグアイランド)でピューマサイズの大型猫が目撃されたというのです。アメリカ本土では山猫は山岳部などに生息しています(ボブキャット、リンクス)またハリウッドなどにもピューマがいたりします。 目撃されたポイント しかしハワイでの目撃情報は少なく、調査もあまり行われていません。なぜこのニュースを取り上げたかというと、 実は私自身が2014年末にマウイ島に旅行した時にホテルの敷地内でこのサイズの猫を目撃していたのです! 状況としては夜に知人の部屋から自室に戻るときに林の茂みにゴールデンレトリバー並みの大きさの猫のシルエットを見たのです。すぐにハワイの山猫をググりましたが、該当するような情報はありませんでした。その後は何かの見間違えかと思い何年も過ごしていましたが、上記のニュースを見て見間違えじゃなかったんだと思いました。 現在地元では捜査が続いているようですが、現地民もあんな大きな動物がいたら怖いと思うので、早く真相が知りたいです!でもハワイの自然って以前から謎が多いことで有名なんですよね。特にハワイ島はジュラシックパークの撮影地にもなっていたはずです。何だかロマンというかワクワクしますね。 「幻の猫」みたいな異名が付いたりするのでしょうか。UMAを見た気分です。とにかくあの猫を見れてよかったです。続報が出次第ブログを更新します。それでは。 実際の映像

混沌とするニューヨークその① 追い出されるホームレス

最近ニューヨークが混沌としているように感ている管理人です。よって今週からニューヨークの特集シリーズを投稿していきます。今回はニューヨークのホームレス追い出し政策についてです。 ハワイ州のJohn Mizuno下院議員は31日、「ニューヨーク市のホームレスの市民を他州に送る政策」に違法性があるとして、ウィリアム・バー司法長官に宛てた書簡で調査を求めた。 Mizuno議員が問題視するのはニューヨーク市が2017年から開始した「Special One-Time Assistance Program(SOTA)」と呼ばれるホームレスの自立支援プログラム。プログラムでは、一定の条件を満たす家族や個人に対し、シェルターを離れ、市内およびニューヨーク州、他州で生活するために一年分の家賃を提供している。市ホームページによると、サービスを受けるには、90日間以上市のシェルターに入っていることや家計所得が家賃の2倍を超えていないことを条件としている。 ニューヨークポスト紙によると、これまで市が負担した家賃は8,900万ドル(約97億円)で、5,074家族、12,482人がプログラムによる支援を受けている。移動先は全米の373都市、ハワイを含む32州とプエルトリコにまたがる。さらに、市は旅費や家具などのコストも負担しているという。 Mizuno議員は書簡で、プログラムは「移転させられたホームレスの個人または家族が必要とする安全性と福祉、継続的な支援」を提供していないと述べ、SOTAは「ニューヨークから運び出されたホームレスに災難と非人道的な状況を生み出している」と主張。「ハワイの住人の多くが、この違法プログラムが、ハワイのすでに酷い状況を悪化させる可能性があると深刻な懸念を抱いている」と述べた。 プログラムに反対しているのはハワイだけではない。これまで278家族が移転したニュージャージー州アービントンのTony Vauss市長は、「ニューヨーク市のコミュニケーション不足とプログムに対する監督の欠如に非常に困惑している」とニューヨークポスト紙の取材に述べ、「SOTAの資金提供が終了すると、受給者は自身を維持するためにわれわれの州と地域のリソースを使用することになる」と批判。またジョージア州ウィラコーチーやユタ州ハリスビルの市長は、プログラムの存在自体に驚いた反応...