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伝説上の大男たち

 

みなさんは金太郎はご存じですよね?またダイダラボッチという巨人をご存じでしょうか。どちらも日本の伝説の力持ちたちです。実はアメリカにもそのような伝説上の力持ちが存在します。管理人が最近「進撃の巨人」にハマっていることもあり、今回はその伝説の大男たちを紹介します。


ポール・バニヤン

ポールバニヤンはポール・バニヤン(ポール・バニアン、英: Paul Bunyan)は、アメリカ合衆国やカナダの民話に出てくるアメリカ合衆国の伝説上の巨人、西部開拓時代の怪力無双のきこりです。


【次のような特徴を語られる】

・生まれたときから8mという巨体[諸説あり]。

・木を伐採すると1日で山が丸裸になる。

・ベイブという巨大な青い牛を連れている。

・五大湖やミシシッピ川をつくった。

・チャック・ノリス・ファクトの原型フォークロアとして知られる[要出典]。

アメリカ合衆国やカナダの民話には、先住民(インディアン)の伝説や、移民がヨーロッパから伝えた話の他にも、開拓民が苦しい生活から生み出した話がある。それらはトール・テール(ほら話)と呼ばれている。特に、ダイダラボッチのような大巨人ポール・バニヤンの話が有名とされている。

ポールバニヤンにもダイダラボッチが転んで手をついたところが浜名湖になった、というような民話が存在します。それはこのようなものです。

ポールは、ベビー・ベッドを大イカダに組んで大西洋に浮かばせなければならないほどの、生まれつきの大巨人だった。きこりになったポールは、数十メートルもある大きな斧を怪力で振り回し、ベイブという大きな雄牛や愉快な仲間数人を連れて、アメリカ全土の木を伐って歩くようになった。

昔、アメリカは平らで、山も谷も無かった。そこへポール・バニヤンが現れ、アメリカを変えた。例えばある時、ユタ州で相棒のベイブが病気になり死にかけた。心優しいポールは、オイオイ泣き出してしまった。滝のように流れ落ちた涙が溜まって、グレート・ソルト湖ができたという。また、暑いアリゾナからカリフォルニアへ行く途中、岩山の間に足を入れて休んでいた時のことだった。ポールが斧で何気なしに岩山を軽く叩くと、そこに深い割れ目ができて、今のグランド・キャニオンになった。

きこりのキャンプ生活で、ポール達は、飲み水を貯める貯水池が必要になった。何故ならベイブだけでも、ちょっとした湖一杯分の水を飲んだからだった。そこでポールが最初にオンタリオ湖を掘ったが、それでも足りないためエリー湖を掘った。しかし仲間が増えてきたので、ヒューロン湖、ミシガン湖、スペリオル湖まで掘った。それでも水が不足しがちなので、ソリに桶を積んで大西洋から水を運んだが、ポールはそれをひっくり返してしまった[。大変なことに、水は洪水となって南へ流れていった。しかしポールは水の前に先回りをすると、大きなシャベルで溝を掘り続けた。この溝がミシシッピ川となり、その両側に盛られた土が、アパラチア山脈とロッキー山脈になったという。

ポール達の食事も大変なものだった。大男ぞろいのきこりばかりだったので、ホットケーキを焼くにしても、直径数百メートルもあるフライパンに油を引くため一苦労だった。そこでポールは、比較的体の小さいきこり数人の靴底にベーコンを付けて、フライパンの上でスケートをさせた。

ジョン・ヘンリー

こちらは巨人というより金太郎に近い人物です。ジョン・ヘンリー(John Henry)は、多くの歌、物語、演劇、小説で扱われているアフリカ系アメリカ人の庶民の英雄です。


【最強の肉体労働者】

ポール・バニヤン、ペコス・ビル、アイアン・ジョンなどの他の「大男」と同様に、ジョン・ヘンリーもまた19世紀の労働者階級のるつぼの中でのある特定の集団を代表する神話的な存在であった。彼の人生のもっとも一般的な物語では、ヘンリーは大きくて強い人として生まれた。彼は西部へ山を渡って鉄道を延長する、世紀半ばの動きの中で、最も素晴らしい「ハンマー使い」になった。物語を複雑にするのは、機械の力が獣の筋肉の力(人間と動物の両方)に取って代わり続け、鉄道の所有者が蒸気で動くハンマーを購入したことである。これは黒人労働者が行っていた仕事を機械にさせようという事である。彼と彼の仲間の職を確保するために、ジョン・ヘンリーは蒸気掘削リグとの対戦に挑戦した。ジョン・ヘンリーは勝利したが、この過程で彼は心臓麻痺を起こし死亡した。他の物語のバージョンでは、ジョン・ヘンリーの脳に血管が浮き出たというのもある。あるバージョンでは、彼は死なずに生き残っている。

現代の描写においては、ジョン・ヘンリーは鉄道のレールを固定するための犬釘をハンマーで打ち付けているようにしばしば描かれているが、より古いバージョンでは、鉄道のトンネルと切り渡しを掘削する過程の一部の、岩に穴を開けている彼を表現している。物語のほとんどすべてのバージョンでは、ジョン・ヘンリーは黒人で、アメリカの現代に入りつつある変化の時期の彼らの疎外化を代表し、すべてのアメリカの労働者階級にとっての庶民の英雄である。キャラクターは実在の人物に基づいたかどうかは分からないが、ヘンリーは労働者階級の重要なシンボルとなった。彼の物語は通常、伝統的な肉体労働の転覆が明白となった19世紀の技術の進化と戦う、無益さの手本の例証として見られる。労働運動の立場からは、会社が従業員の健康と幸福よりも、効率と生産に興味を持っている時に、由緒ある習慣の最も熟練した労働者でさえも取り残されてしまうという例証として伝説を解釈する人もいる。ジョン・ヘンリーは自らが蒸気ドリルよりも有能であることを立証したが、彼は死に至るまで自分を酷使し、どのみち機械へと置き換えられた。こうしてジョン・ヘンリーの伝説は、100年を優に越えて、アメリカの労働と神話の主要部分となっている。

音楽家でリサーチャーであるステファン・ウェイドによれば、ジョン・ヘンリーを題材に歌った人物で現存する最古の記録は、1924年のフィドリン・ジョン・カーソンの『ジョン・ヘンリー・ブルース』とされている。記録には残っていないが、それ以前からジョン・ヘンリーは歌の題材にされており、現在までにさまざまなバージョンが存在する。


いかがでしたでしょうか。アメリカにも金太郎のような存在がいたんですねー。バニヤンに関しては映画「コマンドー」のシュワちゃんを思い出してしまいます(笑)

それではまた次回!!

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