スキップしてメイン コンテンツに移動

タスキギー梅毒実験

 現在アメリカでコロナワクチンの接種義務を拒否される方々がいます。その背景として過去にアメリカで、本人の同意を得ないで人体実験を行うという、あり得ないことが40年にもわたって続けられました。その事件の経緯を追ってみましょう。

タスキギー事件の概要

この人体実験は、タスキギー事件と呼ばれていますが、タスキギーというのは、アメリカのアラバマ州にある町の名前です。ここには、アフリカ系のアメリカ人が多数住んでいました。タスキギーで行われたのは、梅毒に関する人体実験でした。梅毒は性行為によって、スピロヘータという細菌が、感染するために起こる病気です。現在では、治療法が確立されているため、梅毒の発症頻度は少なく、重症化することもほとんどありません。

しかし、タスキギー事件が起きた当時は、発症率が高く重症化しやすい恐ろしい病気でした。梅毒は10年以上にわたって進行し、最終的に脳まで感染して、死に至ることもあります。1932年から始まったタスキギー事件は、被験者に梅毒のことは何も告げず、治療も行われない状況で、罹患後の経過が観察されました。つまり、梅毒にかかると、どのように症状が変化するのか、確認するための実験だったのです。タスキギーに住む黒人の多くは貧困層で、実験に参加すれば食事や生活必需品がもらえるため、続々と希望者が詰めかけました。当時は、世界的な大恐慌があったせいもあって、貧困にあえぐ人が多かったのです。

そんな状況ですから、実験に参加すると食事がつく上に、持病があれば、無料で治療してもらえるという条件は、かなり魅力的に映ったことでしょう。まさに、「うまい話には裏がある」というのはこのことです。1947年になると、梅毒に有効なペニシリンが開発されましたが、タスキギー事件の被験者には投与されませんでした。

事件が発覚した経緯

1972年、内部告発によって、タスキギー事件が発覚します。実験は中止となり、集団訴訟が起こされ、1000万ドルの和解金が支払われることになりました。しかし、当初399人いたとされる梅毒患者のうち、生き残っていたのはわずか74人だけでした。なぜこんなに生存者が少ないのかというと、梅毒にかかっていた399人は、実験が開始された当初、すでに梅毒の末期状態だったからです。政府はこの人体実験で、梅毒の末期に起こる症状や、合併症などを調査したかったのでしょう。

しかし、タスキギー事件は、計画書すらない杜撰な人体実験でした。そのため、実験が進んでいくたびに、後付けで計画書が作られていったのです。被験者には定期的に血液検査を行い、死亡すれば死体を解剖して、実験結果として資料に追加されていきました。タスキギー事件は、まだインフォームド・コンセントが確立していなかった時代の、悲劇的な出来事と言っていいでしょう。これほど大規模な国家的犯罪にもかかわらず、その後20年以上にわたって、大統領から被害者やその家族に対して、謝罪は一切ありませんでした。

大統領の謝罪

アメリカの大統領の中で、タスキギー事件について正式に謝罪したのは、ビル・クリントン大統領でした。1997年5月16日、クリントン大統領はホワイトハウスで、かつてタスキギー事件という非人道的な、梅毒実験が行われたことを述べ、被害者とその家族に政府として謝罪しました。クリントン大統領は、タスキギー事件は政府による人種差別であると認めています。クリントン大統領は、タスキギー事件の直接の関係者ではありませんが、国の代表として被害者や家族に謝罪したのです。

いかがでしたでしょうか。日本だと知らない人も多いかと思います。こんな黒歴史がアメリカにはあったんですね。今年の投稿も残すところあと1,2本だと思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。ではでは!


コメント

このブログの人気の投稿

幻の英雄ボビーフィッシャー

  こんにちは。管理人です。最近なかなかネタが無くて困っているのですが、日本では将棋の藤井壮太さんがタイトルを獲得し話題になっていますね。そこで今回はアメリカで幻の英雄の異名を持つ天才チェスプレイヤーボビー・フィッシャーについて解説したいと思います。 生い立ち ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer、1943年3月9日 - 2008年1月17日)は、アメリカ合衆国のチェスプレーヤー。チェスの世界チャンピオン(1972年 - 1975年)。本名ロバート・ジェームズ・フィッシャー(Robert James Fischer)。 1943年3月9日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにおいて誕生。その後ニューヨークのブルックリンに移住。母親のレジーナ・ウェンダー・フィッシャーは当初ハーマン・J・マラーに秘書として雇われたが、マラーに才能を見い出されて、医学を学ぶように薦められた。父親のハンス・ゲルハルト・フィッシャーは、ハーマン・J・マラーと共にモスクワの大学へ招聘された生物物理学者である。2人はモスクワで結婚し、娘のジョーンが生まれた。しかし、ソ連で反ユダヤ主義が広がり出すと、ユダヤ人の2人はパリへ移住した。後にレジーナは離婚し、国籍を持っていたアメリカへ子供を連れて移住するが生活は苦しく、ジョーンを父親に預けていた。また、シカゴの病院でロバートを出産した時には、ホームレス同然だった。出生証明書にある父親の記入欄にはハンスの名が記載されているが、彼は生涯アメリカに入国したことはなかった。1949年(6歳)、ボビーの姉は、落ち着きのない弟を静かにさせるため、1ドルのチェス・セットを与えて、チェス・ゲームの簡単なルールを教えた。そこでボビーは、すぐにチェス・ゲームの虜となった。1957年(14歳)、インターナショナル・マスターとなる。 翌年(1958年、15歳)、グランドマスターとなる。15歳でのグランドマスターは、世界最年少記録だった。だが、1962年(19歳)、国際舞台から引退した(但しアメリカ国内の大会には出場した)。 プレー・スタイルにはボビー・フィッシャーならではのものがある。例えば、1956年の対ドナルド・バーン戦において、クイーンをわざと捨てることで、勝利した。また、1963年の対ロバート・バーン戦においても、ナイトを捨てて勝利した。しばしば、「天才」と称

アメリカの美味しいIPA

こんにちは。管理人です。皆さんは普段どんなビールを飲んでいますか?私は最近IPAにハマっています。ちょっと値段は高いですが、その美味しさを知れば虜になるはず。常にIPAでなくても、特別な時にIPAをお供にしてみてはいかがでしょうか。そこで今回は私がおすすめするIPA5選をご紹介致します。 ① BREWDOG / PUNK IPA BREWDOGはジェームズ・ワットとマーティン・ディッキーによって創業された。彼らは、英国のビール市場を支配している工業生産されたラガーや面白みのないエールに飽きていた。この望ましくない状況を解決するベストな方法として、自分たちでビールを醸造するため、2007年4月にブリュードッグを創業した。 当時まだ24歳だった僕たちは、愛犬ブラッケンとともに本格的なクラフトビール造りをスタートさせた。スコットランド・フレーザーバラの工業団地に倉庫を借り、醸造した少量のビールを手で詰めて、古いバンの荷台から販売していた。 PUNK IPAは、BREWDOG誕生のきっかけを作ったビール。この軽やかな黄金色のクラシックビールは、新世界のホップを使って爆発的な風味を生み出した。グレープフルーツ、パイナップル、ライチのようなトロピカルフルーツとキャラメルの香りが漂い、最後にスパイシーな苦味が残る。成城石井などでもお買い求めできます。 ② MODERN TIMES / FRUITLANDS 乳酸菌由来の爽やかな酸味と果実のフルーティーさが楽しめるModern Timesの定番商品。 これまで大瓶として発売されていたが、2017年よりパッションフルーツ&グァバ・バージョンが新たに缶商品の仲間入りを果たした。 元々は16世紀にドイツのゴスラーにて誕生したビアスタイル「Gose」は塩、小麦麦芽、コリアンダーとホップを使用し、煮沸前に乳酸菌で発酵させ、煮沸後さらに通常発酵をさせて作られる、心地よい酸味と塩気を特徴とするサワー・セッションビール。 18世紀にはライプツィヒにて人気を博し、第二次大戦後には一度絶滅しかけるも、復刻。 現在ではアメリカの醸造家によって見直され、2013年あたりからいくつかのブリュワリーが醸造し始めている近年流行のスタイル。 この伝統的なビールスタイルをベースとして、パッションフルーツとグァバをどっさり投入することで、トロピカルフルーツ感満

知ってた?アメリカで巻き起こったチキンサンドブーム

みなさんは今年の夏にアメリカで起こった空前のチキンサンドムーブメントをご存じでしょうか?アメリカのファストフードチェーン「ポパイズ・ルイジアナ・キッチン」からチキンサンドが$3.99で発売されると瞬く間に全米でブームになりどこの店舗でも行列が発生。売り切れ続出で入手困難な状況になりました。 また、ポパイズに対抗して同じくファストフードチェーンの「チックフィレイ」やケンタッキーなどもチキンサンドを相次いで発売。チキンサンドブームからチキンサンド戦争へと発展していきました。 (産経デジタル: https://www.sankei.com/world/news/190831/wor1908310010-n1.html  MashupNY: http://www.mashupreporter.com/cpopeyes-chicken-sandwich-war/ ) 一時は売れすぎて販売中止になっていたチキンサンドですがこの度販売を再開したそうです。その様子をMashupNYが伝えています。(こちらを参照: https://www.mashupreporter.com/try-popeyes-chicken-sandwich/?fbclid=IwAR0UIF2R35ZqISojJLmmKdj8MzfD0s77MtGKZn6Dn1RhDuWZ-gCZZJrOirI ) また、最近になってKFCがドーナツでチキンを挟んだ商品を発売。 ケンタッキーフライドチキン(KFC)の人気メニューといえば、やはりカーネルおじさんの秘密のスパイスがヤミツキになるおいしさのフライドチキンである。しかし特製メープルシロップをかけるビスケットなどサイドメニューやチキンフィレサンドなどサンド系も捨てがたいおいしさとなっておりついつい欲張ってしまうのである。 だからもう全部合体させちゃえばどう?ということなのかどうかは分からないままに、アメリカのKFCからインパクトもカロリーもすごそうな新商品が期間限定で一部地域に登場したようだ。 「今年最もクレイジーなチキンサンド」と海外メディアで話題の商品、それはスイーツとフライドチキンとサンドを一緒に楽しめるドーナツサンド。 ・チキンフィレをドーナツ2個でサンドしたハイカロリー爆弾 日本のタピオカブームの裏でアメリカでは熾烈なチ