こんにちは。先日、ロシアがミサイルでウクライナの原発を破壊しているのを見て、放射能のことを調べていたら、デーモンコアというマンハッタン計画の中で起きた核臨界事故を見つけましたので今日はその話をしようと思います。 デーモンコアとは デーモン・コア(demon core)は、アメリカの核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」で、初期の原子爆弾の核分裂性コアとして製造されたプルトニウムの未臨界塊である。直径89mmの球状で重量は6.2kg。1945年8月21日と1946年5月21日の2度、臨界状態に達する事故が発生した。このコアは、日本に投下される可能性のある第3の核兵器に使用される予定だったが、日本の降伏によりその必要がなくなったため、実験用に使用された。 最初の臨界事故 1945年8月21日、物理学者のハリー・ダリアン(英語版)は、プルトニウム塊の周囲に中性子反射体である炭化タングステンのブロックを積み重ねて徐々に臨界に近づけるという中性子反射体の実験を行っていた。ブロックをコアに近付けすぎると即座に臨界状態に達して核分裂反応が始まり、大量の中性子線が放出されるため、失敗は絶対に許されない大変危険な実験であった。しかしブロックをプルトニウム塊の上に落下させ、核分裂反応を生じさせてしまった。急いでブロックをプルトニウム塊の上から離したものの、致死量の放射線(推定5.1シーベルト)に被曝し、急性放射線障害のため25日後に死亡した。 ダリアンは一人で作業していたが、もう一人警備員のロバート・J・ヘマーリー(Robert J. Hemmerly)一等兵は、3-4メートル離れた机に座っていた。 第二の臨界事故 事故当時の再現 1946年5月21日、ロスアラモス研究所で、カナダ出身の物理学者ルイス・スローティンとその同僚らが、中性子反射体(ベリリウム)と核分裂性物質(デーモン・コア)を接近させて、臨界状態が発生する距離の測定実験を行っていた。スローティンらは球体状にしたベリリウムを分割して二つの半球状にし、その中央にデーモン・コアを組み込んだ。そして、ベリリウムの半球の上半分と下半分との間にマイナスドライバーを挟み込み、ドライバーを動かして上半分の半球をコアに近づけたり離したりしながらシンチレーション検出器で相対的な比放射能を測定していた。挟みこんだドライバーが外れて二つの