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北海道とアメリカ

こんにちは。管理人です。実は5月に北海道に旅行で行ってきました。中学校の修学旅行以来の北海道ですごく久しぶりでした。特にエスコンフィールドは格別でしたね! 旅行の中で札幌時計台内の資料館に行ったのですが、その時にクラークや北海道開拓の資料を閲覧しました。そこで今回は北海道とアメリカの歴史について振り返っていきたいと思います。 農学とクラーク 北海道といえば酪農だと思うのですが、これらは全てアメリカからノウハウが輸入されました。北海道といえばソーセージ、ビール、チーズ、牛乳などが有名ですが、これらは西洋から輸入されたものですよね。ここが他県とは決定的に異なる点であり、アメリカの影響を感じさせますよね。 洋館の数々 アメリカからの入植者の影響は農業だけでなく、建築にも影響を与えています。特に有名なのが、札幌時計台です。札幌農学校初代教頭クラークが、彼自身が学長を勤めたマサチューセッツ農科大学の教育に倣い、そのための施設として演武場の必要性を提言した。計画者は2代目教頭であった工学者ウィリアム・ホイーラーであり、北辺警備に備えた訓練を目的として、安達喜幸をはじめとする北海道開拓使工業局による設計・監督の下建造された、バルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔屋を除く)である。屋根は鉄板葺き、高さは19.825m、延面積は約760m2である。 受け継がれるクラークの理念 「少年よ大志を抱け」の名言で有名なウィリアム・クラークは1876年(明治9年)に札幌農学校(現・北海道大学)を開校し、初代教頭になりました。同大学では専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教えました。この他、学生達に聖書を配り、キリスト教についても講じた。のちに学生たちは「イエスを信じる者の誓約」に次々と署名し、キリスト教の信仰に入る決心をした。ここら辺は北海道大学の建学理念にも通じます。 いかがでしたでしょうか。北の大地はアメリカ人によって開拓されていたんですね。だからこそ北海道はどこか異国情緒があって好きです。それではまた次回!