こんにちは、管理人です。もう6月ですか。6月は梅雨になるので、低気圧症候群の私には辛い季節になりそうです、、。ただ、雨の後は必ず晴れますし、虹がかかるというものです。皆さんは虹といったら、どのような場所を思い浮かべますか?私は間違いなくハワイです。ハワイに行くと至る所に虹が描かれています。 虹に関するアメリカンミュージックで一番有名なのは言わずもがなSomewhere over the rainbowですが、そのハワイアンバージョンを歌ったのが、本日ご紹介するIZ(イズ)ことイズラエル・カマヴィヴォオレです。 彼はわずか38歳でこの世を去りましたが、ハワイアンミュージックの伝説的存在で、現在も語り継がれ、多くの人々に愛されています。今回は彼の生涯をご紹介致します。 イズのキャリア、そしてハワイアンミュージックの歴史は、1988年のある深夜、酔っ払いによる1本の電話によって完全に激変した。以下のような伝説だ――。午前2時半、ミラン・ベルトーサ(Milan Bertosa)のレコーディングスタジオの電話が鳴った。そのときベルトーサは〈最悪のダンスミュージック・プロジェクト〉の仕事を終えたばかりだった。「ワイキキの人気BBQレストラン、〈ショア・バード(Shore Bird)〉で開催された〈濡れ濡れスケスケTシャツコンテスト〉の受賞者たちで結成したボーカル・グループの仕事で、歌なんて歌えない女の子ばかりだった」。電話の相手は近所のバー〈スパーキーズ(Sparky’s)〉の公衆電話からだったが、このスパーキーズというバーは、その界隈では覚せい剤やコカインを手に入れるにはうってつけのスポットとして知られていた。電話の相手はこう話したそうだ。「あんたのスタジオでレコーディングしたいってヤツがいるんだ。イズラエル・カマカヴィヴォオレっていうんだけど」 「もう営業時間外だから明日にしてくれ」とベルトーサは電話の相手に告げた。 「待ってくれ、ちょっとイズラエルに代わるから」と相手はいう。 電話口に出たイズは物腰柔らかな印象ではあったが、有無をいわさぬ迫力があった。「お願いします。行っちゃダメですか?」と彼はベルトーサに頼んだ。「ちょっとひらめいた曲があるんです」 ベルトーサは疲れていたし、早く家に帰りたかった。しかし、彼はその前年にシカゴから移り住んできたばかりで、新しい仕事を獲得す